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2018年5月1日

アースの皆既日食旅行記(18)最終回

2017年8月21日の皆既日食。最後まで雲に遮られることなく、第3接触を迎えた。

第3接触とは、完全に重なっていた月と太陽がずれ始める瞬間を言い、再びダイヤモンド・リングを拝むことができる。2回目だから感動が薄いかと言えば、むしろ逆で、1回目よりは落ち着いて見られるだけに、感動もまたひとしおである。

わたしにとっては9年、前回の日食(2016年3月インドネシア)を見た人にとっては1年半のあいだ待ち焦がれた数分間が終わった。

太陽が月の後ろからほんの少し顔をのぞかせただけで、あたりは急速に明るくなり、非日常の感覚が薄れてゆく。あと何年も、あの空気を感じることができないとは。

しかし我々 Eclipse Chaser にとって、一つの皆既日食の終わりは次の皆既日食の始まりを意味する。実際、帰りの車の中で早速サラが「次の日食は・・」とネット検索し始めた。深く同調するやら呆れるやら。

さて。

これ以上、書くことはあまりないが、日本に帰り着くまでのエピソードをひとつだけ。というより、エピソードはひとつしかない。

これまでの、ある意味きつい行程が響いてか、サンノゼにあるジョンとサラの自宅に帰り着いた途端、3人そろって体調を崩したからだ。そのため結局、帰国までの4、5日はほとんど彼らの家の中で過ごした。今回はできればシリコンバレーに連れて行ってもらいたかったのだが、やむなく断念。

といっても、特に高熱が出たとか、どこかが痛んだとかではなく、胃や腹具合が悪いという程度。図らずも、「体調の悪い時のアメリカ人の過ごし方」を身をもって学んだわけであるが、これがきつかった。

これまで、海外で長く過ごしても、体調を崩しても、特に日本食が恋しくなった経験はないので、この旅行でもビタミン剤以外は持って行かなかったのだが、今回、いかにもアメリカンな病人食には閉口した。

クソまずいオートミール。ほんとまずい。ぱさぱさのクラッカー。彼らなりに「A社のBクラッカー○○入り」みたいなこだわりがあるようだが、どれもあんま変わらん。

独特のきつい匂いのする缶詰めのスープ。ツナサラダ缶とやらも、健康な時ならおいしいのだろうが、ひたすらくどく、気分が悪くなる。水を入れて電子レンジするだけだったか、とにかく簡単だったので作ってみた「グルテンフリーのCREAM RICE」とかいうシロモノ。見かけは柔らかい餅だったので、これなら行けるかもと口に入れた途端、あまりの塩辛さに顔が歪んだ。

だが全員、調子が悪いため、誰かが腕を振るっておいしい料理を作ってくれるわけもない。

これでは餓死すると危機感を抱いたわたしは、何とか外出できるようになって行ったスーパーで、ごくごくプレーンなパンと、カリフォルニア産「最高級ササニシキ」を購入。

いや、スーパーに「最高級ササニシキ」しかなかったのであって、わたしが我儘を言ったわけではない。(普段は食にうるさいジョンは、当然ながら炊飯器を所有している)

しかし・・カリフォルニア産のジャポニカ米はけっこううまいと聞いていたのに、これがぱさぱさのぽろぽろ。水とか炊飯器とかそういう問題じゃない。「これのどこが最高級やねん!!」と日本語でおもいっきり毒づきながら、笑顔で食べるわたし。

だが米のメシは米のメシだ。

幸い、ジョンがどこかで買ったらしい「瀬戸の香り」というおかかの振りかけ(日本産。涙)があり、また予感があったのか、わたしが成田空港でふと思いついて買ったおみやげ用の玄米茶とほうじ茶のティーパックで、涙のお茶漬けとあいなった。

いまここであれを食べてもぜんぜんおいしくないだろうが、あの時はほんとうにおいしかった。ビバ、お茶漬け。もう少し元気なら、やはり成田で買った虎屋の羊羹まで手を伸ばすところであったが、お茶漬けだけで満足してしまった。(結果的にティーパックは、わたしが滞在中にほとんど飲んだ)

帰りの飛行機に乗るまでにはなんとか機内食も大丈夫かなと思えるまでに回復。たまたま全日空だったので、最初の食事にあった「うどん」をまた涙を流しながら食し、成田到着。

国内乗り継ぎ便を待っている間、成田空港でわたしが何をしたか、言うまでもないだろう。だし茶漬け屋さんに入り、ほんまもんのお茶漬けを心ゆくまで味わったのである。後にも先にも、あれほどおいしいお茶漬けは食べたことがない。

だが言っておく。

また皆既日食さえあれば、そして体調さえよければ、ぱさぱさハンバーガーと1リットルコーラと山盛りポテトしかなくても、大統領がTであっても、わたしはまたアメリカに足を踏み入れるだろう。世界のどこへでも行くだろう。

現在は、2021年、南極で起きる皆既日食に行くかどうか、検討中である。2人で行くと、大型の車を一台買ったくらいの値段になる可能性はある。だが宇宙より遠いところにある南極と皆既日食の組み合わせが、我らを呼ぶのである。

※国際宇宙ステーションは地上400kmのところに浮いているが、日本から南極までの距離は実に1万4,000km。

以前話したように、2、3年に1回は世界のどこかで必ず皆既日食が起こる。皆さんも機会があれば、文字通りの非日常空間を是非体験してほしい。

※前回リンクしたビデオが今一つ(失礼)だったので、もっといいのはないかと探したが、やはりない。ただ、周囲が暗くなる様子がわりとよく捉えられているのが、以下の日経記事の映像である。お時間のある方はぜひ(47秒)。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASGN21H0F_S7A820C1000000/
ただし、(何度も言うが)ダイヤモンドリングはこんなに長く見えてはいないし、あんなべたっとした質感ではない(怒)。また地平線近くは、肉眼ではもう少し暗い。

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アースの皆既日食旅行記(17)

ついに皆既。月と太陽が完全に重なった。

光量は最低まで下がり、地平線にごく近い部分だけが明るい状態となる。太陽の周囲、かなり幅広い範囲で、絹のベールのような淡い光(コロナ)が美しく広がっている。

今回はiPadを地面に置き、周囲の明るさの変化をラプス映像(早回し)で録画してみたのだが、やはり皆既となった瞬間に、光度がぐっと下がるのがよく分かった。だがその数十秒後に、なんとガソリンスタンドの照明が自動的に点灯。その後の映像はいまひとつになってしまったが、明かりがつくほど暗くなるという証明にはなった。

誰も彼もが興奮していて、実感はなかったものの、気温も急激に下がったようだ。日食を意識していなければ、かなり肌寒かったのではないかと思う。

さて。

太陽が完全に隠されると、驚くなかれ、空に星々が見え始める。

今回の場合は、オリオン座など冬の夜に見える星座があったはずだ。ただし完全に真っ暗ではないので、実際に見えたのは1等星以上の明るい星のみである。太陽に近過ぎて、通常、地球からは早朝と夕方しか見ることのできない金星も見える。

理屈では理解できても、真っ昼間に空が暗くなり星が見えるという状況に、見てはいけないものを見ているような、本当に不思議な感覚に襲われる。見るのは6回目だというのに、心の片隅に恐怖すら感じる。

空に黒い太陽。まさに「原初の恐怖」と言えるかもしれない。

古代・中世の人間たちが、天変地異が起こる前触れとして皆既日食を恐れた気持ちがよく分かる。予備知識なしでこの暗闇に襲われたら、この世が終わると感じてもおかしくはない。周囲が急に暗くなり、雲かと思って空を見上げると、それまで明るく輝いていた太陽が真っ黒になっているのだから、その驚きは想像に難くない。

人類が人類になって何十万年も経ったいまでも、「日食を見てはいけない」という言い伝えをかたくなに守り、日食の日は家から一歩も出ない地域があると聞く。

一方で、国際宇宙ステーションが地球を回るこの時代に日食を予測するのは当たり前としても、すでにギリシャ時代にはかなりの精度で日食が起こる日時を予想していたらしい。

人類とはいやはや。矛盾だらけの存在だ。

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アースの皆既日食旅行記(16)

日食が始まってから1時間と少し。

日食の食分(欠ける割合)が大きくなるに連れ、周囲の光量もどんどん減って行く。99%ともなると、かなりの暗さである。

だが太陽の光とは本当にすごいもので、残り1%になってもまだ相当に明るい。

ちなみに、2012年5月に日本で「金環日食」があったが、あのときの食分は、最大でも約97%だった。何となく暗くなった感じはあったはずだが、皆既日食の経験者からすると、97%と99%、そして99%と100%ではぜんぜん違う。

※金環日食皆既日食のときよりも月が地球にやや近い状態。そのため、太陽が月からはみ出し、太いリング状に見える。

99%を過ぎると、全員の視線が空の一点に釘付けになる。

食分が99.9999%になっても、まだ日食グラスを手放すことはできない。ほんとうにすごいエネルギーだ。

太陽はどんどん細くなっていく。最後はほとんど線状になり、その線がすーっと短くなって行き、ほとんど点になり・・皆既が始まる瞬間には、いわゆる「ダイヤモンドリング」という現象が見られる。

このリング、日食専用グラスを外して肉眼の状態にしないと、十分に楽しむことはできない。しかし早く外し過ぎると、目をやられる。このタイミングが非常に難しいので、初めてだと見逃してしまうことがある。

ところで「ダイヤモンドリング」とは何か。

何回か前に、「地球から見て、月と太陽の見かけ上の大きさはぴったり同じ」と説明した。しかし地球と同じく固体から成る月の場合、実は「完全な球」ではなく、高い山や深い谷など、表面にかなりの起伏がある。

ダイヤモンドリングとは、そうした月の谷間から、太陽の光がごく一部漏れて見える現象を言う。皆既が始まる瞬間と終わった瞬間の2回見ることができるのだが、言葉では非常に説明しにくいので、時間のある方は映像を見ていただく方がいいかもしれない。

※以下、どなたかの公開映像を拝借。
https://www.youtube.com/watch?v=7h-w2FcbTJo
皆既が始まった時のリングはうまく撮れていないので、3分くらいまで進めて、2回目のを見ていただくと良い。画面から外れ気味だが、だいたいの感じはわかるかと思う。(日本人の団体らしく、興奮の声は抑え気味だがシャッター音がすごい)

3分前後はすでに月と太陽が完全に重なっている状態だ。3分20秒頃、皆既が終わった次の瞬間、右上にまばゆいばかりの光が差す。これと周りの細い円を組み合わせて、「ダイヤモンドリング」に見立てるわけである。

3分54秒頃に真っ暗になるのは、カメラのレンズが溶けないよう、フィルターをつけたため。人間はカメラよりもずっと早く(皆既が終わった次の次の瞬間に)日食専用グラスを使用する必要がある。

このダイヤモンドリングが、皆既直前と直後の2回、見られる。

上記映像を見ていただくと、「なかなかきれいね」くらいの感想は出るかもしれない。だがカメラは人間の目より多くの光を拾うため、肉眼で見る時よりも時間が長く、べたっとした質感で映ってしまう。

肉眼では、時間にして最大でも1秒ほど。太陽のきらめきは映像よりずっと繊細で、しかし鋭く、まばゆい。そして圧倒的な透明感がある。

何度も言う。本物はこの映像よりはるかにはるかにはるかに・・・・美しく、自然に涙がこぼれ落ち、身体が震えるほどだ(この・・の部分は、光が地球を一周するくらいの間を置いて読んでほしいほどだ)。

ついに皆既。月と太陽が完全に重なった。

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アースの皆既日食旅行記(15)

皆既日食がいよいよ始まった。わたしにとっては2009年7月以来、久しぶりの日食である。

皆既日食のニュースで流される映像の筆頭といえば、やはりダイヤモンドリングとコロナだろう。ダイヤモンドリングは、皆既になった瞬間と、皆既が終わる瞬間の2度、コロナは皆既時間中に観察することができる。

どちらももちろん素晴らしいが、わたしにとっては「皆既になるまでの周囲の空気の変化」を感じるのが、ダイヤモンドリングと同じくらい楽しみである。これは、写真はもちろん、映像でもVRでも決して伝えることのできない感覚ではないかと思う。(もっともダイヤモンドリングとコロナも、映像と実際では差がありすぎて、「天と地」などという表現では到底足りないほどだ)

端的に言うと、明るさが減じ、気温がやや低くなる。これだけだ。

だがこれが真っ昼間に起きる不思議。1時間ほどかけて、ゆっくりと太陽光が隠されて行くので、上に書いた通り「暗くなる」というより「全体に明るさが減って行く」感覚である。

「夕方みたいなもん?」とよく聞かれるが、ぜんぜん違う。

夕方は、太陽が西の地平線に沈むので、西だけに明るさが残り、東から暗くなって行く。しかし日食では、全天がほとんど同時に暗くなって行く。

さらに、夕方は西の空が赤く染まるが、日食では明度が下がるだけで、色に変化はない。そのはずなのだが、「暗くなるのに赤くない」という意識のせいか、空気が青みがかったような、透明さが増したような感覚に陥る。(きちんと調べてはいないが、夕方は実際に赤い光が優勢となっているように、本当に青みがかっている可能性はあるかもしれない)

これは、真夏の昼間、分厚い雲が厳しい日差しを一瞬さえぎったときの感覚に似ていないでもない。だがどんなに厚い雲でも、実際のところはただの水蒸気の集まりであり、太陽の光を完全に遮ることはない。一方、岩からできている月は、当然ながら太陽光を完全にシャットアウトする。

もっとも太陽そのものが完全に隠れても、周囲に漏れ出る光だけでかなりのものである。よって皆既中も、夜のように真っ暗になることはない。

とはいえ、皆既中ともなると、月が地球に落とす影の大きさは直径200〜300kmに達する。つまり宇宙から地球を見ると、昼間の部分の一部に黒く丸い点(月の影)がある状態だ。今回の場合、北海道より少し小さな点が、北米大陸の上を移動して行く様を思い浮かべていただけると、分かりやすいかもしれない。

その影の真ん中にいる人からはどう見えるか。

さきほど、色は赤くないと書いたが、厳密に言うと「周囲360度がすべて淡い夕焼け」の状態になる。ただ普通の夕焼けよりはずっと淡く、地平線にごく近いところだけが赤くなるので、開けているところでなければ、なかなか見ることができない。

さて。

この独特の透明な空気に包まれると、このあと待ちに待った最高の瞬間が見られるのだという期待で身体が震える。いや、実際に気温も下がる。今回も、体感で3〜5度くらいは下がった感じがするし、NASA(アメリカ航空宇宙局)も後でそのような記録を出していた。

いつも「体感」なので、今度こそしっかり観測しようと、わざわざアメリカまで最高・最低温度計を持参したわたしであったが、ああ。ホテルに忘れた。英語は忘れたが、口をとんがらかしたジョンから「楽しみにしていたのになぁ〜〜〜っ」と言われた。

※影の移動と気温の変化を視覚的に分かりやすく示したのが、NASAのビデオである(41秒)。移動する黒い丸(一番小さな楕円)が「月の本影」で、その中にいる人にとっては「皆既」の状態になる。http://tinyurl.com/ycxtghwd

空を見上げる度に、3割、5割、8割と、容赦なく日食は進んで行く。

以前のメルマガの課題で、動物も反応するという内容の記事があったが、あれは本当だ。今回の場合、皆既直前で近くの林にいるフクロウが鳴き始めた。

ただ、皆既中でも真夜中のように真っ暗になるわけではないし、暗くなっている時間もごく短いので、実際には動物が反応する前に明るくなってしまうことが多いように思う。今回のフクロウも、あまりにもステレオタイプな反応だったので、もしかしたらサービスで鳴いてくれたのかもしれない(!)。

言うまでもないことだが、最も強く反応する動物はホモ・サピエンスである。

DEVIL級の数独をやっていた女性も、近くの高校生たちも、ガソリンスタンドの従業員も、誰も彼もが空の一点を見つめる。「日食専用グラス」の発明を成し得た人類に栄光あれ。太陽はいよいよ細く、ほとんど線のようになり、そして・・。

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アースの皆既日食旅行記(14)

皆既日食の場合、欠け始めから欠け終わりまで、だいたい2時間半かかる。皆既が終わった後、最後まで見ることはあまりないものの、欠け始めから皆既まででも1時間ちょっとはある。

よって、第一接触(欠け始め)後、太陽と月が重なっていく様をずっと見ているわけにはいかない。前回も説明したが、専用グラスを用いても、連続して観察することはNGだからだ。

立派な望遠鏡を設置して、カメラを何台もとりつけ、ひたすら撮影を続ける人。いままでに見た(見られなかった)日食についてすべて解説してくれちゃう人。まったく関係のない、隣人の迷惑行為について文句を言い続ける人(日食初心者か、日食に慣れ過ぎた猛者か)。だがみんな、思い出したようにグラスを取り出し、天を仰ぐ。

過去の日食旅行についての話の中で、ジョンとサラが1991年のメキシコの皆既日食で太平洋岸の港町マサトラン(Mazatlan)にいたことが発覚。その時、実はわたしもマサトランの町にいた。我々が知り合うのはその後1994年のチリ日食の時だが、3年も前の同じ日、同じ時、同じ町にいたとは。知り合うべくして知り合った、ということか。

1998年、カリブ海のオランダ領アルバ島での皆既日食の時には、もともと狭い島に世界中から大量のバカどもが集まったうえに、そのほとんどが皆既時間の長い南部を目指したため、島の南半分が沈むのではないかと危ぶまれたほどだった。

だが今回は、さすが広大な北米大陸だけあって、いままでで一番、人口密度が低いようだ。

少し離れたところでは、キャンピングカーの上に椅子を置いて観察する人や、学生の集団が見えるが、我々のすぐ側にいたのは、アメリカ人の老夫婦が一組だけ。

男性は小さな望遠鏡を設置し、何かしきりにメモをとりながら観察を続けている。こういうところに現れるアメリカ人男性は、一般的な(というかステレオタイプの)イメージと異なり、非常に落ち着いた物腰で、理論的・理知的、感情に流されない寡黙な人が多い。したがって話しかけると、とつとつと、しかし丁寧に受け答えしてくれる。(ジョンは「寡黙な」の部分が当てはまらない例外的存在だが、そのほかは同じである)

そばの車の中では、助手席に女性が座って、何やらやっている。近づいて見ると、なんと SUDOKU(数独)である。わたしも数独は大好きだが・・いま?ここで?数独?と聞くと、「皆既までの時間ツブシよ!」との答え。ま、わからないでもないが。(ちなみに、このとき女性がやっていた数独のレベルはDEVIL(超難問)で、皆既前には解き終わったらしい)

わたしの場合、皆既までの時間は、こうして近くにいる人の様子を観察したり、お話したりするのがいつものパターンだ。そして忘れてはならないのが、周囲の「空気感」の観察、というより「体感」である。

しかし今回は・・・ああーーーーーーーっ!!!!!!

わ、わすれた・・・こんどこそと思って持ってきたのに、ホテルに忘れた・・・。温度・湿度計。しかも最高・最低温度も測れるやつ。皆既中は気温が明らかに下がるので、今度こそ数値を残そうとしていたのに・・・ううう。

ということも含めて、日食が進むに連れて変化する「空気感」については、次回お話しようと思う。

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アースの皆既日食旅行記(13)

2017年8月21日午前9時過ぎ。太陽高度約30度。

待ちに待った第一接触の時間である。天気はほぼ快晴。山火事の煙が若干気になるが、影響するほどではなさそうだ。

第一接触とは、皆既・部分日食で、太陽の縁と月の縁が最初に触れる瞬間のことをいう。これ以降、太陽と月の重なっている部分がどんどん大きくなって行く。

月が太陽に触れるといっても、当然ながら「そう見える」だけである。実際には地球から38万km離れている月が、1億5,000万km離れている太陽と重なって見えるわけだが、これは奇跡的な位置関係だと言われている。

例えば、太陽が今より近かったり、月が今より遠ければ、見かけ上、太陽が月からはみ出してしまう。逆に太陽が遠かったり、月が近ければ、月は太陽全体を隠すことはできるが、いわゆる「ダイヤモンドリング」(皆既前後に見られる現象。いずれ説明する)は見られない。

しかし現実には、何年かに一回、地球から見て、月と太陽が見かけ上まったく同じ大きさで重なる瞬間があるのだ。これが奇跡でなくてなんだろう。

※3つの天体が直線上に並ぶ瞬間は月に一度はあるはずなのに、なぜ毎月、皆既日食にならないかという疑問が出るかもしれない。「上から見れば直線上に並んでも、横から見るとずれている」でお分かりいただけるだろうか。地球の影に月が入る月食も、同じ理由でなかなか起こらない。

※ちなみに各天体の直径は以下の通り。
      月  :約3,500 km
      地球:約1万2,500 km
      太陽:約140万 km
  すなわち、太陽の直径に地球が109個並ぶ計算である。

しっかりした観測機材を持ち、データを重要視する人々(例えば日本人の集団や、大学の観測チーム、専門家が監修・同行している日食ツアーなど)と一緒に観察すると、必ず「第一接触まであと10秒。太陽の右下から欠け始めます」などと誰かがコールしてくれるが、テキトーな人々だけの集まりでは、だいたい

「そろそろ時間だよ」
「あ、右下がちょっと欠けてない?」
「ええ〜。むしろ左下のほうだと思うけど」
「いや上だろ」

と、かなりテキトーである。人間の観察眼などいい加減なものだ。月がどちらから太陽に重なっていくかは、ちょっと考えれば分かるはずなのだが。だがそのうち、

「ほらほら、もうはっきり分かるよ!」
「あほんとだ。右下だった。えへへへ」

てな感じになる。

この時間のわくわく感は、ほんとうに説明し難い。初めての人はもちろん、わたしのように6回目のベテランでも、10回以上などという猛者でも、いや回数を重ねていればいるほど、「あの」瞬間が近づいているのだと考えるだけで、身体が震える。

さあ、これから約2時間。何年ものあいだ待ち焦がれた時間の始まりだ。

※今後、皆既でなくとも日食を観察される方は多いと思われるので、ここで天文普及委員会から注意事項をお伝えする。

1)日食グラスは、手製のものではなく、専用に販売されているものを使いましょう。当然ながら、どれだけ濃くてもサングラスなどは絶対にNG。1秒でもダメです。専用グラスは、「太陽以外のものはまったく何も見えない」くらいの濃さになっています。

2)専用グラスでも、皆既(太陽が完全に隠れている)時間以外、長時間の使用はやめましょう。

3)グラスで目を覆ってから、太陽の方を向きましょう。

以上のことを怠ると、失明したり網膜に障害が残るなど、取り返しのつかないことになります。よって厳重注意です。

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アースの皆既日食旅行記(12)

皆既帯の端に位置するレドモンドから、皆既時間が最も長いマドラスに向けて幹線道路を北上。腰を落ち着けて日食を観察できる場所を探す。しかしついに、道路が渋滞し始めた。

日本人的感覚かもしれないが、わたしはなんとなく、太陽なんて、屋根さえなければどこでも見えるのだから、いざとなったら道路の脇に車を止めて見る人が続出するんじゃないかと想像していた。

だが、路側帯に車を止めている人はほとんどいない。ジョンとサラも、そうした方法はまったく念頭にないようだった。(田舎道だけあって、停めようと思えば場所はいくらでもあったのだが、防犯その他の問題だろうか)

道路の両側は、ぽつんぽつんと家や店があるだけで、基本的には広大な農地や草原が続く。そんな道路で車が数珠繋ぎになって北を目指しているのだから、異常と言えば異常である。

農園の入口に、 Total Solar Eclipse $20/hour などとヘタクソな字で書きなぐった看板が現れることもあった。だが、そうした場所に入る車はほとんどない。農園の所有者にしてみれば、「あてがはずれた」というところだろうか。どんなところかちょっと見てみたい気もしたが、いまは時間がない。

時間がないなら、なぜそこに決めないのか、という疑問が出てくるかもしれない。どこの誰やら分からない人の敷地だからとか、1時間20ドルはちょっと高いんじゃね、とかいう理由もあるにはある。だが大きな問題は「人が少ない」ことにあった。つまり、ジョンの言うところの「他に誰もいない場所で少人数で楽しむか、Moment of Truth を大勢の人とシェアするか、どうする?」ということである。

(こう聞かれたときわたしは、Moment of Truth って・・おお、闘牛で言う La hora de la verdad のことじゃな!などと場違いなことを考えていた。たまにはスペイン語メルマガらしきことを言ってみる)

わたしとしては、静かに見るなら、ジョンとサラには悪いが、いっそ誰もいないところで、太陽と月とわたしだけで過ごしたい。だが3人でどうせ騒ぐことになるのなら、いっそ大勢で騒いだ方が楽しそうだ。2人も同じ意見のようだった。

レドモンドとマドラスのちょうど中間地点あたりで、住宅や学校、ガソリンスタンドなどが集まっている場所があったので、ここで北上を諦め、脇道に入った。

左側を見ると、農園の中に車が何台も駐車してあり、大勢の人が集まっている。門には 2017 Total Solar Eclipse の巨大な横断幕と、明らかに門番と分かる男性。試しにそこに入ってみることにした。

ジョン「ここって日食みるとこ?」
門番氏「あーえーと、予約あるの?」
ジョン「ない」
門番氏「んじゃダメェ。ほれ、もどったもどった」

と手を大きく振り回す。にべもないとはこのことか。こういうとき、クソ丁寧な対応に慣れきっている日本人としては、何やらものすごく冷たい印象を受けるが、当然ながらジョンやサラは平気である。そうか予約・・きっと1年くらい前から募集していたのだろう。

少し車を走らせると、Paid Parking Only ($20). Inquire at Shell と看板を出しているシェルのガソリンスタンドがあり、ここならトイレも食料もばっちりだということで、決めることにした。

見たところ、ガソリンスタンドの敷地全体で100台は停められそうだが、まだ30台くらいしかない。

今回、地元の多くの商店や農園が小金を稼ごうと目論んでいたようだが、たくさん稼げたのは宿泊施設とガソリンスタンド、大型のレストランくらいだったのではないかと思う。しかもたった一日だけである。

地元の人にしてみれば、世界中から日食バカがウンカのように集まり、地元をほんの一瞬覆い尽くして、あっという間に去って行った、という感じだったろう。効果より悪影響の方が大きかったかもしれない。バカを代表して、謝罪する。

まだ時間があったので周りを少し歩いてみると、いかにもアメリカらしく、巨大なキャンピングカーばかりが停まっている有料区域もある。目算で約100台。壮観である。おそらく、最初からここに宿泊してここで日食を見て、そのまま帰るということなのだろう。うらやましいような、やっぱりホテルでちゃんと寝たいような。

さらにその向こうの広大な芝生には、中学生か高校生と思われる集団がテントを張っている。この気温なら、確かにテントで寝ることも可能か。

生徒を集めて、若い先生が熱心に説明している。日食観察は楽しい体験ではあるが、気をつけないと失明につながりかねない、非常に危険な行為でもある。それだけに先生も大変だと思う。

さて、そろそろ第一接触の時間だ。我がガソリンスタンドに戻ろう。

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アースの皆既日食旅行記(11)

日食当日の朝。

アラームはいつもより早い6時半にしてあったが、5時半頃からホテルの中がざわざわし始めた。

もともと安普請(普段は1部屋50ドルぽっきり)のホテルなので、音が響くこと自体は不思議ではないものの、マナーのなっていない旅行客2、3人がどたどた出て行ったどころではなく、まるで修学旅行生が団体で出立するような騒ぎである。そのため我々のんびり3人組も、さすがに起き出した。

窓の外を見ると、昨日の夕方はぎっしりだった駐車場がほとんど空っぽで、家族連れが一組、大声で話しながら荷物をあたふたと積み込んでいるだけである。なんでもいいが、声がでかすぎるだろう。

ホテル前の幹線道路はと見ると、渋滞とまではいかないものの、田舎の朝5時半としては考えられない交通量である。だが多少なりとも進めそうなので、とりあえず北を目指すことにした。

我々の場合、準備は実に簡単で、持参するのは日食専用グラスと双眼鏡のみ。

カメラ、ビデオ、望遠鏡を駆使して撮影を行う人々は、大量の機材を持って行き、設置し、テスト撮影し・・と、日食の日の朝は恐ろしく多忙である。それだけにかなり早めに現地に到着するはずで、その点だけは若干不安であったが、場所とりのために早く出立するという発想のない我々は、恐らくホテル中で二番目に遅い出発となった。

そういえば、現代では絶対に外せないものを忘れていた。スマホとタブレットである。今回の場合、位置情報の取得のためにGPSは必須だし、渋滞や天気の情報を得るためにも欠かせない。観測地の緯度と経度が変われば、日食の時間も大きく変わってくるので、特に個人で動く場合、位置情報は重要である。ずっと太陽を見ていれば分かることではあるが、いくら専用グラスを使用しても、長時間の観察は目によろしくない。

どうでもいい話だが、今回の旅の間、ジョンがスマホのナビに対して、大声で "OK, Google" と話しかけるのを聞きながら、うへえ、日本人にはこっぱずかしくてとてもできねぇよ、と力いっぱい思ったことである。

さらにどうでもいい話だが、日本で発売されているグーグルのAIスピーカーは、呼びかけワードが「ねえ、グーグル」になっているらしい。これを初めから大声で照れなく言える日本人はほとんどいないだろう。アップルのAIに至っては、「ヘイ、Siri(シリ)」である。普段、「へい」を「塀」や「兵」以外の意味で使っている日本人がいるだろうか? いない。そもそも「しり」があり得ない。

日本人にとって使いやすい呼びかけワードは「ねえドラえもん」だという意見があるが、わたしは「ドラえもぉ〜ん」が一番良いと思う。

脱線した。

本日の主役、太陽はすでに空のかなり高い位置にある。もう一人の主役である月は、太陽のすぐ近くにいるはずだが、当然ながら太陽光が邪魔で、いまの状態で見ることは絶対にできない。

皆既帯の端に位置するレドモンドから、中心線のマドラスに向けて、ひたすら北上する。車は多いものの一応は流れているので、マドラスまで行けるかと一瞬期待したが、あと2、30kmというところで、突如渋滞が始まった。

日食の開始まで、あと1時間半もない。ぼやぼやしている間に、始まってしまう。

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アースの皆既日食旅行記(10)

わたしは遠足の前日は絶対に寝つけない、おめでたいタイプなので、日食前日は眠れるかしら、と心配であったが、やはりポートランドからの長距離ドライブのせいか、お天気サーチに疲れたのか、すぐに寝入ることができた。

日食当日、ホテルの中がざわざわして予定より1時間早く目が覚めたのだが、その前に一つエピソードを。

これまでまったく説明して来なかったが、今回、ホテルでの宿泊はすべて「3人1部屋」であった。もちろん予約時に、3人部屋にするか、わたしだけ別のシングルをとるか聞いてくれたが、彼らの自宅に長期滞在させてもらったこともあるので、そちらさえ差し支えなければ、3人1部屋で良い、と答えておいた。

結局、今回の旅行では、彼らの家にたどり着くまで、同じ部屋で8日間過ごしたことになる。荷物の散らかし方、水周りの使い方、着替えのやり方、出かける前の準備時間などに大差はなかったが、ひとつだけ、まさにフタを開けてみなければ分からない大問題があった。「エアコンの設定温度」である。

ポートランドでの第一日目。夜中。

わたしは尋常でない寒さで目が覚めた。旅行一日目にして、まさか風邪をひいたかと思ってエアコンの設定温度を見に行くと、63度である。

あそっか華氏だ。
おお、このエアコンは摂氏表示がある。
素晴らしい。ぴっ。
は? はへ? 17度???

キミたち、日本では摂氏28度(華氏82.4度)の設定が推奨されているんだよおっ!とぐーぐー寝入る2人に声なき声を投げつけ、こっそり設定を20度にしてベッドに戻ったわたしであった。ぎりぎり許せる温度である。

これまたいままでまったく説明してこなかったが、ジョンはいわゆるアメリカ人体型で、背はそれほど高くないが、料理好きということもあって、はっきりいってプクプクさんである。日本の真冬でも半袖で歩いているクレイジーな輩がときどきいるが、ま、そういうことだ。サラはアメリカ人としては普通である。

昨夜、尋常でない寒さだったと訴えたところ、「やっぱり?」という答え。ひどいわ。聞けば、自宅の寝室でもジョンの感覚に合わせてエアコンを設定し、サラはそれに合わせて着込んだり、布団を増やしたりするとのことであった。

結局、わたしが掛け布団を2枚余分に掛けることにして、この話は決着した。

今回は特に環境問題にうるさい西海岸を動き回ったこともあり、ハイブリッド車の普及などもあって、以前アメリカに行った時と比較して「驚くほどのエネルギーの無駄遣い」を感じる場面は少なかったのだが、エアコンの設定のように、微妙な感覚の違いという意味では、時々びっくりさせられた。

さて、またもや脱線してしまったが、次回以降は今度こそ日食!である。

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アースの皆既日食旅行記(9)

皆既帯最南端の町レドモンドのホテル。

数km、数十kmごとに現れる渋滞(これも案外ストレスフルである)、そして代わり映えのしない景色との戦いの末にようやくホテルにたどりついたと思ったら、我々3人にあてがわれたのは、クイーンサイズベッドがひとつしかない部屋であった。

明日は日食で、これからさらに多くの人が詰めかける。ホテルの入り口には No Rooms Available の文字。土壇場でのキャンセルはあるかもしれない。しかし・・

みんなして「あれま」「まじか」「うっそー」などとひとしきり言ったあと。(正確には"Oh, shoot" "No kidding" 「うっそー」である)

ジョンは早速、自分の予約間違いでなく、ホテル側の間違いであることを確認しに、階下へ。こちらのミスであった場合は、エキストラベッドを要請することになった。サラとわたしは、この部屋に寝るしかなく、エキストラももらえなかった場合に備え、誰がどこにどう寝るかについて、話し合った。

なんとか3人で1つのベッドに寝る案。気持ちとしては良くても、物理的にどうか。いや無理だ。毛布あるいは巨大タオルをわんさかもらって、それを床に敷き、(相対的に)小柄なわたしがそこに寝る案。日本の感覚で一瞬思い浮かんだ、誰かが車で寝る案。しかしこれは、防犯上の理由から却下された。

余談だが、天文小僧だったわたしは、夜中、真っ暗な山の中に止めた車の中でも、平気で眠ることができる。夜の山は、イノシシやタヌキなどとの出会いに注意しなければならないが、車の中ならば大丈夫である。幸か不幸か、幽霊さんに出会ったことはないが、たとえいたとしても、幽霊さんは生身の人間と違って暴力を働いたり、ドロボーしたりすることがないので、問題ない(?)。

脱線した。

結局、ホテルの近くにあったホームセンターに、エアーベッドでも探しに行くか、という結論になったところで、ジョンが「ホテル側の間違いだった」とさすがにほっとした顔で帰ってきた。「この部屋の主が来てしまったら、そっちに本来の我々の部屋があてがわれかねないから、早く移動しよう」ということで、大急ぎで「キングベッドが2つ」の部屋へ引っ越しし、ようやく安心することが出来た。

使いかけのちんまい石鹸が一つしかないことにご不満な様子のサラであったが、普段はチョー安いホテル(50ドルぽっきり)だからこんなもんか、と自らを納得させた模様であった。きょうは200ドルだが。

さて。

きょうは、朝、ホテルで一応コンチネンタル・ブレックファーストをいただいたあとは、途中の観光地でホットドッグを食べただけで、そのほかは例のバーやクラッカー、チーズ等をつまんだだけである。でもこれからまた車で出て渋滞に巻き込まれるのもいやだね、ということで、手持ちのもので済ませることにした。(当然ながら、レストランが併設されているようなホテルではない)

となれば、あとは寝るだけだ。いや違った。

明日のだいたいの予定を決めておかねばならない。何時に出るか。日食の皆既時間が最も長いマドラスまで、どうしても行くのか。朝から渋滞が予想されるなか、そもそも行けるのか。

それよりももっと大事なことは、天気である。早く出発しさえすれば、渋滞があったとしても目的地までたどりつけるだろうが、行ったはいいが曇ってました、ではお話にならない。

通常の気象情報会社の出している予報に加え、NASA(アメリカ航空宇宙局)を筆頭に様々な科学機関が独自に出している予報を精査する。しかしそれだけではダメだ。すべての機関の予報が一致していれば、実現の可能性が非常に高いということだが、予報は大筋では同じものの、マドラス、レドモンドなどといった町レベルまで絞ると、微妙に違ってくる。

そこで、日本でいう気象衛星ひまわりの雲画像(可視光と赤外線)のようなものを見たり、湿度の状況を確かめたり、上空の風向・風速を調べたり。ジョンがこだわったのは「露点(dew point)」である。露点が異なれば、同じ水蒸気量でも雲ができたりできなかったりするからだ。わたしは雲画像からだいたいの様子を予想するタイプであるが、日本とは状況がまるで違うので、やはりほとんど役には立てなかった。

※ここで理科の復習。
露点=空気中の水蒸気が水滴になる温度。気温が高いほど飽和水蒸気量(空気が含むことのできる水蒸気量の限度)が多くなるので、水蒸気量が同じなら、気温が低くなるほど水滴ができやすい(つまり雲や霧が発生しやすい)。

曇ったら曇ったで仕方ないやん、というサラの冷めた目を気にすることなく、ジョンとわたしは嬉々としてリサーチを進める。そう、単にやりたいだけである。

そして最終的に、山火事の煙は心配だが、気象条件はほとんど問題ないという結論になった。よって、朝起きて目の前の道路が車でぎっしりでなければ、マドラスに向けて出発する。ぎっしりだった場合は、ホテルの駐車場で観察する、ということになった。

ジョン「マドラスと比較して、レドモンドにとどまることによる皆既時間のロスは最大約20秒。これがどうしても許せない人は?」
サラ 「いませ〜ん」
わたし「いませ〜ん」

つまり太陽が月に完全に隠される時間が、マドラスが2分であったら、レドモンドは1分40秒しかない、ということである。

チリの時は皆既時間が5分近くあったので、短いといえば短い。特に写真を撮る人たちは、1秒でも長い方がいいらしい。だが我々のような肉眼観察派にとっては、短い時間の中で空気の変化自体を楽しむこともできる。なにより渋滞に巻き込まれた揚げ句に、落ち着いて皆既の瞬間を迎えられないのでは意味がない、との判断である。

明日の予定も決まったので、こんどこそ、キングサイズベッドでゆっくり眠ろう。いつもよりちょっと早いけど、アラームは6時半。おやすみなさい。

しかし翌朝5時半。ホテルの中がざわつき始め、3人とも目が覚めた。

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アースの皆既日食旅行記(8)

日食の前日。宿泊予定のオレゴン州レドモンドに向け、ドライブを続ける。

相変わらず、コロンビア川沿いのビューポイントでは、少し前から渋滞が始まり、ポイントを抜けると渋滞がなくなる、という状態である。我々は観光をすべて諦めてひたすら東進し、その後コロンビア川に別れを告げて南に向かった。

このあたりは、少し足を伸ばせばあちこちに興味深い地質学的ビューポイントがあることはわかっているが、すべて無視してひたすら南下する。皆既帯に近づけば、もっと激しい渋滞となる可能性もあるからだ。

かなりの高速でぶっとばしているにもかかわらず、道路両脇の風景はほとんど変化がない。これだけ広大な大地、ちょっと走っただけで激しい変化があったら逆に大変だが。おおお〜アメリカらしいのう。と楽しめたのはほんのしばらくの間で、じきに飽きてしまう。一人で運転していたら、あっという間に寝てしまいそうだ。

じつは現在、東京に向かう北陸新幹線の中でこれを書いている。トンネルが異常に多いという難点はあるものの、車窓の風景はいい具合に変化があって、飽きることがない。現在、富山辺りを進行中・・すでに厚く雪をかぶった立山が美しい。左は日本海が広がっているはずである。

アメリカの乾燥しきった大地に話を戻そう。

コロンビア川から南へ進み始めると、空気の色がだんだんと白くなってくる。山火事の余波である。オレゴン州の最高峰 Mt.Hood も、雲か煙か、かすんでしまって、いまひとつよく見えない。

白い。白い。空気が白い。明日の日食は大丈夫だろうか。煙の粒のように核となるものがあると、水蒸気がその回りに集まり、雲ができやすくなる。そのためわたしの高校の天文気象部では、観測旅行に行っても、花火だけは絶対にご法度だった(それ以外は何でもアリである。徹夜あけでソフトボールをやるのが恒例だったが、それを知った先生が気絶しそうなくらい驚いていたことを思い出す。高校生とはいえ、徹夜明けでそんなことをすれば死んでもおかしくない・・ことは、いまなら分かる)。実際には花火の煙ていどで雲ができるとも思わないが、今回の場合は飛行機から見えるほどの煙である。あれが雲や雨を呼んでもまったくおかしくない。

と、頭の左半分では心配しつつ、右半分では、相変わらずおしゃべりに余念がない我々である。

そうこうするうちに、明日の目的地が近づいてきた。皆既帯の真ん中、皆既時間が最も長いとされるマドラスの町である。

以前も書いたように、マドラスは人口6000人足らずのごく小さな町である。だが道路は、6車線すべてが、かなりの数の車であふれ返っていた(人口6000人の町でなぜ6車線も必要なのか不明だが)。

道端に、日食Tシャツやバッジを売る店・・「日食観測場所貸します。2時間20ドル」の看板・・待ちきれないのか、はたまた模擬撮影のためか、さっそく望遠鏡を組み立てる人たち・・皆既日食のいつもの風景が見えてきた。いやがうえにも気分が盛り上がる。

しかし全体として、皆既日食で町全体がひっくり返っている、という印象ではないのが意外である(当日はまた違うのだろうが)。

1994年11月、ジョン&サラと知り合ったチリでの皆既日食の時は、ペルー国境に近いプトレという町が、まさにひっくり返っていた。標高3500m超、普段の人口約2000人の小さな小さな町が、世界中から来たバカどもに覆い尽くされた。町の人々が一世一代の稼ぎ時!と思ったかどうかは分からないが、道という道、角という角には屋台がずらりと並び、ありとあらゆるグッズが売られていた。Empanadaも売っていたように思う。屋台で買ったキャップはいまでもとってある。

もう一つ思い出した。このとき我々は、米国旅行社のごり押しだか粘り強い交渉だか分からないが、チリ陸軍の兵舎で食事・宿泊させてもらうことができたため、日食もチリ陸軍の兵士の皆さんと一緒に観察した。(当然ながら個室がないため、男女が別々の兵舎で寝たのだが、女性用兵舎のお世話をしていた兵士の皆さんがものすごくうれしそうだったことを思い出す)

そして翌日。日刊紙 El Tercero の一面に、兵士2人がいかにもという格好で日食グラスを掲げ、日食観察をしている写真がデカデカと載ったのだが、そのすぐ後ろでやはりうれしそうに日食を観察している我々がしっかり写り込んでいたのである。もちろん、その新聞も大切に残してある。

また脱線してしまった。

我々はとりあえずマドラスを通り過ぎ、皆既帯ぎりぎりの場所にあるレドモンドに向かった。恐れていた史上最悪の渋滞もなく、ホテルにたどり着くことができた。

は〜さすがに疲れたよね。きょうはもう寝ようか。ポートランドのホテルはクイーンサイズのベッド2つだったけど、ここはキングサイズ2つだよ・・などと言いながら、渡してもらった鍵で部屋に入ると、なんと。クイーンサイズのベッドが1つの部屋である!このホテルをとったのは1年前。しかもぼったくりの200ドル。明日は皆既日食。ホテルの入り口には、No Rooms Available の看板が掲げてあった・・。

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アースの皆既日食旅行記(7)

8月20日、いよいよ日食の観測予定地に向けて出発した。

ポートランドからコロンビア渓谷に沿って東進し、途中で川と分かれる形で南下。ざっと300kmの道程である。普段なら大したことのない距離だが、この日はさすがにところどころで渋滞にぶつかった。

コロンビア渓谷でも特に美しい場所、興味深い場所になるべく寄っていこう、という考えは誰もが同じだったようで、数kmごとに現れるビューポイントの前はすべて渋滞。結局、前日にわたしとサラが作成したリストのうち、まともに消化できたのは1つ、しかも出発してすぐのポイントだけであった。

しかしこの日は、途中で止まっても、ちょっと待っていればすぐ動くし、ビューポイントを過ぎれはスムーズに流れ出すし、大したことないな、とわたしは思い始めていた。わたしが「最も厳しい状況」として思い浮かべていたのは、日本のお盆やGW並みの渋滞だったからだ。

しかしカリフォルニアの5車線のフリーウェイでがんがん飛ばすことに慣れているジョンとサラは、予想通りというべきか、こらえ性がない。性格的にはのんびり屋さんで、がつがつしたところはまったくない2人だが、やはり相対的な問題だろうか。

すぐに予定をすべてすっ飛ばして、停車は最小限にとどめ、とにかく先に進もう、ということになった。

しかし車内では、文化的背景の違うわたしという人間がいるせいか、硬軟両面で話が尽きることがない。

地球温暖化の問題。
遺伝子組み換え大豆の使用の是非。
フリーウェイとハイウェイの違い。
保安官の選び方。
フリーウェイが無料なら清掃代や落下物除去の費用はいったいどこから出てくんのさ問題。
いったいどうやって3つの文字(漢字・平仮名・片仮名)を使いわけてんのさ問題。
昨日ネットで見たアンパンマンの巻き寿司で、ほっぺに使ってあったピンクの物体はなんなのさ問題。
さっき道路脇にぽつんとポスト(郵便受け)が置かれていたけど、ポストの持ち主の家が遠過ぎて見えないじゃん。
的な話題まで、話は止まらない。

アンパンマンのほっぺに使われていたのが「田麩(でんぶ)」だということは見てすぐに分かったが、その正確な説明についてはネットに頼るしかなく、日本人として忸怩たる思いであった。

堅い方の問題では、オバマケア開始後のアメリカの医療保険の状況を聞こうと意気込んでいったわたしだが、車内で話を持ち出したところ、「あーそれは。複雑怪奇。車の中で話せる話題じゃないから、また後でね」と言われ、そのまま立ち消えになってしまった。残念。

しかしひとつだけ教えてくれ。そもそも、なんでアメリカの医療費はバカ高なんじゃ(盲腸の手術だけで数百万とか)。との質問に対し、「そりゃ値上がりするしねえ」という身も蓋もない返事が返ってきた。もちろん、それが第一の理由ではない、とのフォローはあったが。

言われてみれば、日本人はデフレに慣れきってしまい、健康保険の負担割合の上昇こそ心配するが、医療費そのものが「値上がり」することはないとなんとなく思っている人が多いのではないか。

しかし考えてみれば、他の商品が値上がりするのに、医療費だけが据え置きなんてことは、それこそあり得ない。それでも盲腸で何百万は行き過ぎだと思うが。

あと、渡米前からひとつ気になっていたことがあった。T大統領に対する2人の見方である。

日本人は、ミスターTの単なる物言いや態度だけを見て、ああだこうだ言い放題であるが、彼らにとっては、曲がりなりにも中央行政府の長であり、軍隊の最高司令官であり、自国や自分たちの運命を左右するかもしれない存在である。ジョンやサラは、性格的にはどう考えてもミスターTとは合わないが、政策的にはもしかしたら支持者ということがあり得るかもしれない。

もちろん、それならそれで構わない。ミスターTに対するわたしの印象は、数々のメディアやネットの情報で、きついバイアスがかかったものかもしれないし、彼らが特定の政治家の支持者だったからといって、我々の関係が変わることはあり得ない。だがミスターTに関しては、支持するしないを巡って口論となり、離婚した夫婦すらいると伝えられるように、支持するかしないか、またその理由によっては、少し見方が変わる可能性はあるな、と思っていた。

そこで、ポートランドでの最後の晩、おそるおそる聞いてみた。ミスタープレジデントについてどう思う?

ミスターTがテレビに映った瞬間のジョンのマネだといって、サラがその場でやってくれたのは、足でテレビのチャンネルを変えるジョンの仕草であった。ああこれは・・以前の日本の某政治家に対するわたしの反応とまったく一緒だ。

これでわたしの心に引っかかっていた小さなトゲがとれ、ハレバレ楽しい旅路に没頭できたのであった。

あ。今回、日食とまったく関係がない。ま、いいか。

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アースの皆既日食旅行記(6)

日食の前々日。

ポートランドからは、なぜか人気(ひとけ)が消えた。我々が行った場所がたまたまだったのかもしれないが、この静けさは尋常ではない。そろいもそろってのんびり屋さんの3人であったが、もしかしてみんなもう、皆既帯に向かってしまった?と若干不安になってきた。

以前説明したように、皆既日食が見られる幅約110kmの「皆既帯」は、米国の北西部から南東部まで、数千kmの長さがあった。しかし当然ながら、山岳地帯や砂漠のど真ん中まではなかなか行けないため、普通の人々は一般道と皆既帯が交差する地域を目指すしかない。

そういう次第で、今回も皆既帯上にある町は、大きさを問わず、人であふれ返ったはずだ。中でも、(太陽と月が完全に重なる)「皆既」の時間が最も長くなる中心線、つまり皆既帯の南北110kmの真ん中を目指す人が多かったことと思う。

皆既日食を、単に美しいだけの天文イベントとして捉えている人が多いかもしれないが、太陽の周囲に広がるコロナや太陽表面のプロミネンスなど、普段は太陽光が邪魔で観測できない現象を観測するのに絶好の機会となる。また皆既中は月のシルエットが見えることになるので、月の地形を調査することも可能である。

※コロナ:太陽の周囲に広がる薄いガスの層で、太陽直径の4〜5倍にわたって広がる。皆既日食中は、柔らかいベールのように太陽を取り囲む様が肉眼で見える。これが実に美しい。

※プロミネンス:太陽からガスが吹き上げる現象で、太陽表面からの高さは5万〜10万km。大きなプロミネンスが太陽の縁にあると、日食中はそこだけが月の後ろから飛び出す形で明るく見える。

そのため研究者たちは、一般人よりもはるかに熱心かつクレイジーに皆既日食を観測するため、自前の移動手段を確保し、最高の条件で観測が出来る地域ならどこへでも、それこそ砂漠の真ん中へでも出かけていく。

・・・と、昔はそうだったらしい。だが最近は、なんと宇宙に打ち上げた衛星から観測することが多いそうだ。したがって今回の場合も、研究者自身はアメリカ大陸からはるか離れた研究室でコンピュータをにらんでいただけかもしれない。

月の地形に至っては、例えば日本が月に送り込んだ探査機「かぐや」が、月面上の高度100kmから舐めるように調査を行ったため、地球からの観測はほとんど意味がなくなった。(地球から月までの距離は約38万km)

解説が長くなった。

我々が一応の目標地点としたのは、オレゴン州の中北部に位置するマドラスという町である。

マドラスの普段の人口は、なんと6000人たらず。日食当日は、それが10倍になるとも100倍になるとも言われていた。ホテルなどは、2、3年前から旅行社の予約で埋まっていたとか。

よって我々のような完全な個人旅行者は、皆既帯の中ではあるが、中心線からは離れたところに宿をとる人が多かったように思う。我々も、かろうじて皆既帯の中に入るレドモンドという町(人口2.6万人)に宿泊した。当日は、そこからできるだけ中心線に近づこう、という計画である。

話をポートランドに戻す。

いささかの出遅れ感を感じながら、我々も翌日からの移動・日食観察に向けて、ささやかな準備にとりかかった。

ポートランドから観測予定地のマドラス近辺までは、途中、多数の美しい滝が見られるコロンビア渓谷沿いの道を通るので、本当のところ、あちこちで止まっては景色を楽しみたいところだ。だが長さ数千kmの皆既帯全体でとはいえ、数百万人が移動するとされている20日、最悪の場合はポートランドからマドラスまでの約300kmの道程のほとんどの道が渋滞するのではないかとの予想すらあった。

となれば、問題は食料・飲料である。

わたしが「水とか食料とか買っとく?」と提案したところ、サラがニヤニヤしながらカバンから取り出したのは、ジップロックに詰めるだけ詰め込んだスニッカーズのような各種バー(スニッカーズよりはやや健康に配慮したバーだったが)と、これまたジップロックに詰め込んだ、何年分やねんというくらい大量のアーモンドであった。さすが。

それでも、これだけでは飽きるだろうということで、現地のスーパーに行き、チーズやクラッカーなどを買い込んだ。水はもちろんである。

さらに問題はトイレであるが、こればかりは止まれる所でなるべく早めに対処するしかない。

渋滞が思ったほどでもない場合は、当然ながら自然に触れるのが好きな我々だけに、できればコロンビア渓谷沿いをゆっくり楽しみたいところである。そこで、運転手のジョンには先に寝てもらって、サラとわたしは大きな地図を机の上に広げ、寄りたい所のリストを作成した。

※何百km、場合によっては1000km越えの行程を予定していたのに、想定する運転手がジョン1人というので驚いたが、運転手が増えると、その分レンタカー代がかなり増えるのだそうだ。

前回わたしが海外に出たのは、携帯端末が爆発的に普及するより前のことである。そのため、久々に海外に足を踏み入れるなり感じたのは、「世界が変わった」ということであった。わたしの頭の中に残っていたのは、ホテルや航空機の予約こそネットでとるけれども、その他はまだまだアナログで、特にガイドブックや地図は紙製、という世界だったからだ。

その感覚を引きずりながら、誰も彼もがスマホかタブレットを手にしている情景ーー日本でいつも目にしている情景のはずだがーーをしみじみ見ると、まさに隔世の感があった。いや、これは大袈裟かもしれない。

18年ぶりに会った我々も、当然ながらそれぞれにIT化の波をくぐり抜け、それぞれに21世紀の人間になっていた。おもしろかったのは、米国人のサラとジョンが韓国Samsung社、日本人のわたしが米国Apple社の携帯端末を使っていることである。

わたしがApple命なのに対し、ジョンはアンチApple。

わたし「だってAppleかわいいんだもん」
ジョン「だから嫌いなんだもん」
サラ「使えればどーでもいいでしょうが」

まったくこの通りの会話があったかどうかは覚えていないが、まあこんなようなやり取りをしたものである。道中、ジョンが Damn Apple!(くそったれあっぷる)と言っていたのを何度か聞いた。まあお下品な。

ともあれ。

昔ながらの折り畳んだ大型地図を机の上にばりばりと広げながら、21世紀の人間でも、やっぱり地図を俯瞰する時は紙がいいんだね、まだまだローテクだね、と言って笑い合った我々であった。

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アースの皆既日食旅行記(5)

ポートランド空港に到着。

空港ビルのあちこちに、2017 Total Solar Eclipse のポスターが貼ってあり、いやがうえにも気分が盛り上がる。

レンタカー会社の差し向けたバンに乗って、レンタカー屋へ。長い行列ができているのに、スタッフが2人しかおらず、丁寧なのか何も考えていないのか、とにかく一人の客に長い時間をかけている。

いつものことだが、ジョンの突出したフレンドリー度がこういった場所でも発揮されるため、ますます時間がかかる。借り受けるまでに15分は話していたろうか。これに慣れているサラとわたしは、すみっこでおとなしく待つのであった。

いまここで車を借りようとしている猛者がいる。無理だろう。日食前後は、ポートランド中のレンタカーがすべて借り上げられる、という予想もあるほどなのだ。しかし考えてみれば、ちょうど夏休みの時期、何も知らずにポートランド観光をしに来た人々にしてみれば、ワケのわからない状態だったかもしれない。

わたしはもちろん、ジョン&サラも「全米一住みやすい街」をゆっくり見たいということで、ポートランドには計3泊したが、まともに行ったのはオレゴン科学産業博物館のみで、あとはホテル近くの河原でだらだらしたり、町をぶらぶらするだけで終わってしまった。だが、わたしを含め、そもそもそういうタイプの旅行者なので、それでいいのである(他人と旅行する際、この種の感覚がずれていると、絶対にうまく行かないだろう)。

オレゴン科学産業博物館は少し町外れにあったため、面倒くさがりやさんの3人は、初めて「ウーバー」を使った(慣れない街中を運転したくないということで、レンタカーも諦めた)。

※ Uber(ウーバー)は、自動車の配車ウェブサイト/アプリで、一般的なタクシーの配車に加え、一般人が自分の空き時間と自家用車を使って他人を運ぶ仕組みを提供。(Wikipediaより)

アプリが最寄りのウーバータクシーを自動検索してくれるので、良さそうな一台を選んでOKしたら、5分としないうちにやってきた。

一般人が空き時間にやるタクシー稼業なんて、どんなもんじゃと不安だったが、今回の旅行では、3回使って3回とも、親しみやすい運転手ときれいな車で、実に快適であった。たまたまかもしれないが。

印象的だったのは、運転手が3人とも「副業」でやっていたこと。みな空き時間を利用してお金をため、今後の人生に生かしたい(勉強や起業)ということだった。確かに、手っ取り早く資金を貯める手段としてはいいかもしれない。

オレゴン科学産業博物館に行った時のウーバー運転手(スーザン)との会話。

スーザン「あなたたちも日食?」
ジョン 「そう。ボクたちね、1994年のチリの皆既日食の時に知り合って・・(以下略)」
スーザン「ザンネンだわ〜。仕事がなければ、あっ仕事って本業の方ね。それがなければ、私も見に行くんだけど。でもポートランドは部分日食でも99%欠けるんですってね。なら皆既日食とほとんどおんなじ?」
ジョン 「いやいやいやいや。ぜんっぜん違うのだよそれが。
なぜって・・(以下略)」
サラ  「完全同意」
わたし 「右に同じ」
スーザン「へえ〜。くやしいなあ」
ジョン 「ポートランドから離れられないなら、ボクが実におもしろい部分日食の観察方法を教えてあげよう。それはね、太陽を見るんじゃなくて、地面を見るんだよ。いやじょーだんじゃなくて・・(以下略)」

ジョンの力説をさえぎってしまったので、代わりにわたしが説明しよう。部分日食しか見られないと不満をもらした人全員をつかまえてジョンが教えていたのは、地面に映った木漏れ日を見る方法である。

葉っぱの間を通ってきた太陽光が地面に映ると、ピンホールカメラの原理によって、「そのときの食の形」になる。例えば太陽が50%欠けていれば半月の形、70%ほど欠けていれば三日月の形になるのだ。

言葉で聞くと信じられないかもしれないが、ネット上に写真がたくさんあるので、「日食 木漏れ日」などで画像を検索してみてほしい。

さて。

科学産業博物館は、その名の通り科学と産業の博物館である。ポートランドで唯一行ったランドマークがそれ?と言われそうだが、なにしろアメリカの天文雑誌 Sky & Telescope に広告が掲載されていたScientific Expedition 社(科学探険旅行社)の日食ツアーで知り合った我々である。これでいいのだ。

わたしがもう一つ考えていたのはオレゴン歴史博物館であるが、展示内容を見る限り、1人でじっくり回った方が良さそうということで、次回(いつ?)に延期した。

科学産業博物館の展示内容は、それなりに個性はあるものの、特に突飛なわけでもないので説明は省略するが、ひとつだけエピソードを紹介しておく。

博物館のそばに、米海軍が実際に使用していたディーゼル潜水艦があり、その内部を回って見られるガイドツアーがあったので、ジョンと参加した(サラは「狭くて油臭いに決まってるから、外でのんびりする」というので不参加。確かに通路などはひどく狭く、そして臭かった)。

参加者は15名ほどだったが、小学生くらいの非常に熱心な男の子の的確な質問と、やはり質問が抑えきれないジョンのせいで時間が押し、最初はゆっくり丁寧だったガイドさんの説明がどんどん速くなる。

※海外でいつも思うことだが、周囲が全員大人であろうと、まったく質問をためらわない子供たちの姿勢に感心する。あの男の子のなれの果てがジョンなのだろう。

おそろしげな武器の部分はともかく、ソナーの探知距離だの、潜望鏡の長さだの、バラストタンクの容量だの、潜水艦なのにディーゼルってか!みたいな部分だのは非常に興味深いものの、専門用語の羅列と速まる一方の会話に、「だめだもうついていけない」とわたしが白旗を上げたころ、ようやくツアーは終盤に。(もちろんそれまでも、何の話をしているかがどうにかこうにか分かる程度である。念のため)

最後に兵士用の食堂に入り、いかにもまずそうな食事の説明が一通り終わった後。疲弊しきったわたしの頭に響いてきたのは、なんともかわいらしい女の子の、たいへんに分かりやすい質問であった。

「この、アイスクリームつくりきは、いまも、うごくんですか?」

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アースの皆既日食旅行記(4)

サンノゼ空港に到着。

ジョンとサラの迎えが遅れたため、しばらくターミナルのすみっこで過ごしていたが、そのあいだ聞こえてきたのはほとんどスペイン語だった。大半は観光客ではなく米国在住の人々のようで、スペインのスペイン語とも中南米のスペイン語とも違う、独特の響きが興味深い(気まぐれにスペイン語メルマガらしいことを言ってみる)。

感動の薄い再会部分は省略する。恐ろしく緩やかなペースながらメールをやりとりしていたせいか、実は18年ぶりだというのに、お互いちょっと(?)老けたなぁ程度で、ほとんど感動がない。いいのやら悪いのやら。

市内での昼食後、すぐにポートランドに向けて出発するため、今度はサンノゼ空港の出発ロビーへ。

日食の皆既帯に近いポートランドへのフライトということで、空港のスタッフも含めて、

「あなたも日食?」
「たのしみよねぇ〜」
「いや、あんま興味ねーし」
「せっかくだからポートランド観光しないと!」
「あ〜渋滞すごそう」
「ポートランドからずっと車が数珠繋ぎになるって誰か言ってたよ」
「仕事さえなきゃーオレも行くのによお」
「甥がちょうどいい所に住んでて良かったわ!!」
「1000万人移動だってさ。マジか」

といったような会話があちこちで交わされていたように思う。

そうしたなか、アメリカ人の中でもフレンドリー度突出のジョンは、すぐに周りの人とうちとけて話し出す。しかもすぐに「こちら、日本人の日食トモダチのアース」と紹介してくれちゃうので、わたしもニコニコ笑顔をふりまかざるを得ない。

1994年のチリ皆既日食の時に知り合って、その後もカリブで一緒に日食を見たことがあり、今回が3回目だ・・と(ジョンがうれしそうに)説明すると、「まあステキ!」などと返す人が多いのだが、顔には『物好きなひとたちね・・』とはっきり書いてある。

まあいいさ。今回の日食で、あなたがたも立派な日食中毒症になること請け合いなのだ。

機内からは、カリフォルニアからオレゴンにかけて、あちこちで山火事の煙があがっているのが見える。山火事自体、大変な問題だけれど、いまの我々には、日食観察にどの程度の影響があるかが問題だ。

今回の観察地は、全米でも8月の「平均雲量」が特に少ない地域からジョンが選んでくれた。極端な話、空全体で、きれっぱしのような雲が一つしかなくても、それが太陽の前にある限り、日食は見られない。だから平均雨量が少ないことはもちろん、なるべく湿度の低い地域を探す。また一日の平均湿度が低くても、一日の特定の時間に必ず霧が出るような地域もあるので、そういった点のチェックも必要である。

そうして選びに選び抜いた地域で待ちかまえていても、やはり曇る時は曇るし、降る時は降る。こればかりは文字通り、お天道さま任せだ。

だが、わたしは6戦6勝の強者である。つまり6回トライして、月が太陽を完全に隠す「皆既」の瞬間が見られなかったことはない。

2002年のオーストラリアの時は、全天で見れば「晴れ」でも、雲がいくつも浮かんでおり、皆既の10分前に太陽が隠れて、一時はやきもきした。だが皆既直前、奇跡のように、ほとんど重なった太陽と月が登場。

このときは非常に低い雲だったので、数km離れた場所では同じ雲が太陽&月を隠し、そのあたりにいた人は涙をのんだらしい。このときは、海に太陽が沈もうとする場面での日食で、いままでで最高に美しかった。

2009年に中国〜奄美大島/トカラ列島〜小笠原を皆既帯が抜けた時は、上海から日本列島に至る広い地域を分厚い雨雲が覆い、特にトカラ列島では暴風雨となった。だが小笠原近海にいたわたしは、快晴の空の下、ほぼ完全な凪の海の上で、日食を拝むことができた。(言っておくが、手漕ぎボートで太平洋に乗り出したわけではなく、定期貨客船「おがさわら丸」を使ったツアーに参加した。海の上で精密な観測・撮影は不可能なので、メカな人々のための下見はなかった)

ジャンケン賭事くじ引き、すべて大変に弱いわたしだが、こと日食にかけては百発百中。人生のすべての運をここで使っているのかもしれない。それならそれでいい、とさえ思うのである。

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アースの皆既日食旅行記(3)

日食情報だけで2週分を費やしてしまった。旅行記らしいところがぜんぜんないとお怒りの方のために、今回の日程を書いておく。(日食関係の話だけで進めようと考えていたが、ピーチからの強い要請により、日食とは関係のないエピソードも入れていく予定である)

8月16日
成田 → サンノゼ(ジョンとサラに再会)
サンノゼ → ポートランド

8月17〜19日
ポートランド観光

8月20日
レンタカーにてオレゴン州レドモンドに移動

8月21日
皆既日食!

8月22日
カリフォルニア州サンノゼに向けて車で約650kmを移動
(実際にはサクラメントまでで降参)

8月23〜27日
サンノゼ滞在

8月28日
帰国

日食観測地に近いオレゴン州ポートランドでなく、カリフォルニア州サンノゼから入国したのは、日食後にジョンとサラの家でしばらく過ごし、そこから帰国するため。よって成田ーサンノゼの往復チケットをとった。

翻訳を専業にしている人はみな同じだと思うが、外国語を商売道具にしているくせに、滅多に外国には行かない(行けない)。わたしも、前回、日本を出たのはいつだったかすら、自力では思い出せない状態だった。調べてみたら、ほとんど10年ぶりの海外で、パスポートもとっくに切れていた。

今回は久しぶりに個人旅行の手配を自分で行い、
「こんなに簡単だったっけ?」
と拍子抜けした。家を一歩も出ることなく、パスポート以外のすべての手配が完了。また今回は携帯端末を持っていくため、最悪でも公衆WiFiでネット通信が可能であり、情報不足への不安があまりない。

思い出してみれば、10年前、現地ではまだまだアナログな活動をしていたように思う。この10年は、スマホとタブレット、つまり携帯端末の爆発的な普及期とちょうど重なるからだろう。以前は、未知の土地に行くとなればワクワクと不安のアンビバレンスな感じが楽しかったし、なにより緊張感というものがもう少しあったように思う(単にトシを経てずぶとくなっただけという話もあるが)。

海外に行き慣れている人からすれば、いまごろなに言ってんでぇ、てなもんだろうか。ともあれ、国家間の垣根が低くなるのは喜ばしい。素直に技術の進歩を歓迎しよう。

さて。

もともと旅行の荷物が極端に少ないタイプなので、荷造りはあっと言う間に終わる。

ただ、現金をどうするかという問題があった。家にあるのは、前回、使いきれなかった大量の硬貨のみ。

ご大層な意匠のトラベラーズチェックも残っていたが、四半世紀くらい前のものということもあり、まるで古代文書のように見える。お店で差し出そうものなら、若いにーちゃんねーちゃんに「なんじゃこれ」とか言われそうなので、持っていくのはやめた。銀行や空港なら、間違いなく通用するのだろうが。

結局、アメリカ入国後すぐに友人に会えるという安心感もあり、サンノゼ空港のATMで出せば良いと結論。しめて7ドルの硬貨のみをカバンに詰めて、出発となった。(もちろん各種カードは持参したので、安心されたい)

これまでは関西空港や中部国際空港ばかりを利用していたので、わたしにとって四半世紀ぶりの成田空港は、まるで知らない場所と化していた。が、空港ですることといえば、チェックインに保安検査、出国審査と、それだけは変わらない。

ただ、わたしにはもう一つすべきことがあった。「外国製品持ち出し」の申告だ。

ブランド物のバッグ?財布?靴? ちがう。「双眼鏡」である。(今回は、常に恐ろしく重いカメラ・望遠鏡類を持ち歩く相棒が日本で涙をのむことになっていたため、双眼鏡を持って行くことにした)

わたし「えーと、外国製品は持ち出し届がいるんですよね」
係の人「はい。モノはなんですか」
わたし「ツァイスの双眼鏡なんですが。これです」
係の人「・・・。Made in ウェスト Germany ってあるね。新品じゃないんでしょ。届出不要です」

そ、そうだった!! 西ドイツ製だった! 古き良き(?)西ドイツで作られたカール・ツァイス社の高性能双眼鏡。これからも大事にしてやろう・・。

そんなエピソードもありつつ、飛行機に乗り込んだ。

わたしが飛行機の中で何をするか。本を読んだり、寝たりするのは普通の人と同じはずだが、違うのはおそらく、「飽きずに外を眺める」ことだろう。

そう話すと、「雲、きれいですもんね」と言われる。ちがう。

いや、もちろん雲も興味深い。「十種雲形」の中でも最も高いところに発生する「巻雲(けんうん)」の上を飛行機が飛んでいると、無意味に「おおお〜〜〜」と思ったりする、わたしは変なヤツである。

※雲は、国際気象機関によって10種類に類別されている。高い方から、巻雲、巻層雲、巻積雲、高層雲、高積雲、積雲、乱層雲、層積雲、層雲、そして低層から上層までぐ〜んと伸び上がる積乱雲(入道雲)である。

こほん。わたしが飛行機の中で特に注目するのは、下ではなく上。国際線は上空10000メートル以上の非常に空気の薄い層を飛ぶため、星や月がくっきりと見えるのだ。

今回も、行きの飛行機では北斗七星が驚くほど近く見えた。ストレッチをかねて機体最後方に行き、窓にかぶりつきで外を見ていると、CAさんが気になったのか、話しかけてくる。

CA氏「何か見えますか?」
わたし「北斗七星がきれいですよ」
CA氏「えっ、そんなの見えるんですか!?」
わたし「見えますよ〜。飛行機からは特にきれいに。ほら」
CA氏「わあ〜ほんと! 長い間乗ってますけど、ぜんぜん気がつきませんでした。感謝しなきゃいけませんね〜」

いや、そんなことで感謝しなくてよろしい。

星もきれいだが、わたしが特に好きなのは、地上から見る青空よりもずっと深みのある「濃紺」の空の色だ。あれを見ると、少し宇宙に近づいた気になって、ゾワゾワする。(実際には高度100kmまで空気があるそうなので、宇宙との境目はもっと上なのだろうが)

飛行機に乗って皆既日食を見るツアーもある。天候はもちろん、大気汚染とも無縁なので、おそらく信じられないほどきれいだろう。ただわたしは、月が太陽を隠す様子だけでなく、それに伴う周囲(大気)の変化を体感するのが何よりも好きなので、おそらく飛行機に乗って日食を見ることはないだろうと思う。

いよいよアメリカ大陸が見えてきた。

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アースの皆既日食旅行記(2)

わたしを含め、世界に皆既日食に取り憑かれた人々が何万人いるのか知らないが、日食があるたび、その人たち(というか我々)は何とかカネをかき集め、何とか休みをとり、一部の人は借金までして、その素晴らしき瞬間に居合わせようと画策する。そうした人々が世界中から集まるだけでも、交通機関や宿泊施設が大変な状態になることは想像できよう。

特に今回の場合、アメリカ合衆国のど真ん中を皆既帯※が通るとあって、日食が何なのかもまったく知らないくせに、「日食でも見てみるか」という失礼なヤカラも含めて(失礼)、日食前後は数百万人が一斉にアメリカ国内を移動する・・という予想が出ていたほどだ。

※皆既帯
皆既日食が見られるベルト状の地域。幅は数km〜百数十km、長さは数百km〜数千km。今回は西海岸のオレゴン州から東海岸のサウスカロライナ州まで、アメリカ大陸を横断する形となった。皆既帯の幅は110kmであった。東京〜富士山山頂の距離95kmと比較すると分かりやすいだろうか。

理論上、「皆既帯」からほんの数十メートルでも外れれば、「皆既日食」ではなく「部分日食」になる。そして、皆既帯の中心線に近づくほど「皆既時間※」が長くなる。となれば、その日その時に中心線にできるだけ近づくために、当日の交通渋滞も考慮して、前日までにしかるべき場所までたどりついていなければならない。

※皆既時間
月が完全に太陽を隠している時間。今回は最大で2分17秒。

以上の理由から、日食旅行は1年以上前から準備を始める必要がある。

海外の日食に行く場合、通常は天文ツアーに慣れた会社の日食ツアーに参加するのが手っ取り早い。観測場所は下見したうえできちんと用意してくれるし、トイレ等の準備も手抜かりはないからだ(最低でも数時間は滞在する必要があるので、荒野のど真ん中でなくとも、トイレはクリティカルな問題となる。特に個人で動く場合は確保が難しい)。

ただ、そうした専門の日食ツアーに参加する皆さんは、あまりに勤勉すぎて、わたしにはついていけないことが多い。

他の国の天文ファンと比べて、日本の天文ファンの「観測機材充実度」は半端ない。老若男女おしなべて、望遠鏡はもちろん、カメラからビデオから、ものすごい量の機材を現地に持ち込む。

わたしが荷物持ちをするわけではないので、自由にしてくれればいいのだが、一つ問題がある。皆既日食を撮影するには、正確に太陽を追尾しなければならないため、「予行演習」が必要となるのだ。

目的の町に到着し次第、とるものもとりあえず、みんなして観測場所におもむき、北はどっちで東はどっちで、北緯40度だから本番の太陽の高さはこれくらい、方向はあっち、ここにカメラを置くとあの建物が邪魔になる、こっちは木が邪魔だ、三脚を置く地面の様子はどうか・・・等々の条件を吟味し、なるべく本番と同じ時間、場所で望遠鏡やカメラを設置してみて、模擬日食撮影を行うわけだ。そのために、(多くは)なんもない現地に足を運び、半日ほどを費やす。その時間がツアーに組み込まれるため、その日は他に何もできない。

わたしはあくまでも肉眼・体感派なので、そうした準備は一切必要なく、肉眼観察用の黒いレンズを持って、皆既帯に足を運び、天を仰ぎさえすればよい。皆さんが予行演習をしている間、できれば他のことがしたい。でもツアーでは、それは難しい。

こうした様子は、たまたま同じ場所に居合わせた日本のツアーの人に話を聞いて知っているだけで、わたし自身、参加したことはない。これまでは自力で現地にたどりつくか、予行演習のスケジュールなんか一切設けない外国発のツアーに参加するかのどちらかだった。ジョン&サラ夫妻に出会ったのも、アメリカの天文雑誌が企画したチリ日食旅行ツアーであった。

そして今回。日本で起きる日食ならば、恐らくわたしがホテルや交通機関を手配して彼らを連れ回すであろうように、今回はすべてジョン&サラにおんぶにだっこの楽な旅行とあいなった。

ジョンは1年以上前から、皆既帯の端に位置するモーテルに予約を入れてくれていた。しかし通常ならば1部屋30ドルくらいのやっすいモーテルが、200ドル強。強気である。部屋やベッドはそれほど悪くはなかったが、石鹸は使いかけのちっこいのがあるだけだった。まあ普段は30ドルなのだから、仕方ない。

それでも相当良心的なところを選んだようで、ジョンの言うのに、$1600/night low end motel もあるとのことだった。どんなやねん。

日本発の日食ツアーも一応チェックしてみたが、観光付きで7泊100万から、2泊4日の超弾丸ツアー30万まで、法外といっていい値段設定になっていた。常識的な日程で、ほんの少しだけ観光がついた5泊7日のツアーでも40〜50万。

アマゾンの密林地帯に行くわけでもアフリカの奥地に行くわけでもない。ただのアメリカである(失礼)。日食中毒患者の足元を見る姑息な商売だ(失礼)。

今回、ただのアメリカ(失礼)とはいえ、現地に行くまでの足の問題もあり、ジョンとサラがいなければ、わたしもツアーに参加せざるを得なかっただろう。2人には感謝したい。(このメルマガを読んでいるわけはないが)

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アースの皆既日食旅行記(1)

皆既日食とは、月が完全に太陽を隠す現象である。太陽が完全に隠れている時間は、長くても7分。短ければ一瞬。それを見るためだけに、地球の裏側までも足を伸ばすオバカな人たちがいる。何を隠そう(隠してないが)、わたしもその一人だ。

そういう病気にかかった人を Eclipse Chaser と呼ぶ。スペイン語で何というか? 知らにゃい。

部分日食なら見たことあるよ〜あれっておもしろいよね〜と軽めのコメントをくださる方々が多いが、わたしと同様、日食病を患い、今回の日食にも同行してくれたジョン&サラ夫妻は、鼻息も荒くこう言う。

「99.99%まで欠ける部分日食でも、皆既日食(100%)とはぜんっぜん比べ物にならない。まったくベツモノ!!!」

わたしもこのコメントには完全同意する。今回の旅行中、アメリカ人でも特にフレンドリーなジョンは、会う人ほぼ全員にこの話をしていた。まるで皆既日食普及委員を自認しているかのようだ。いや、何を隠そう(隠してないけど)わたしもそうである。

なぜみなさんに知っていただきたいか。好奇心だけは旺盛だが、滅多なことでは感動しないこのわたしを感動させるほど美しいから。世界で、いや文字通り宇宙で一番きれいなものだから。

2035年には日本列島を横断する形で皆既日食が起きるけれど、それまでに世界のどこかで何度も見る機会はある。読者のみなさんのうち、一人でも二人でも、世界最大のイベントを直接その目で見て、人生観が変わるほどの体験をしていただければ幸いである。

      ★     ★     ★

皆既日食についてはわりと誤解が多いので、旅行記を始める前に、簡単に説明しておく。まず、「月が太陽を完全に隠す現象」が皆既日食、「部分的に隠す現象」が部分日食である。

皆既日食に関してよくある疑問としては、

「日本では見えないの?」
「毎年、同じ時期にあるの?」
「(欠ける割合以外に)部分日食と何が違うの?」

の3つが挙げられる。

場所。地球上のどこでも起こり得る。今回のように北米大陸で起きることもあれば、太平洋上でしか見られないこともある(人間の住んでいるところで起きるとは限らない)。

時期。そこそこ定期的には起こる。だが「だいたい数年おき」くらいの感じだし、一年の中の時期も一日の中の時間もバラバラである。

この2つだけで、重度の日食病に罹り、Eclipse Chaser となってしまった暁には、どれほどの苦労を背負わねばならないか、想像できるのではないかと思う。

しかし3つめ。部分日食との圧倒的な違い。これだけで、その苦労は報われて余りある。これについてはおいおい語ろうと思う。

天文が趣味だと言うと、9割方「ろまんちっくですねぇ〜」と言われるが、天文というのは極めて正確かつ現実的な世界だ。実際、我が家にある「日食リスト2050」には、2017年から2050年までに起こるすべての日食の場所と時間が載っている。

明日の天気予報は外れても、30年先に起こる日食の時間が分単位で分かるのだ。直前までには、場所はほとんどメートル単位、時間は秒単位の予測が出る(理論的には何年先の日食でも予想は可能だそう。「正確な予想」に限っても、1000年分くらいは可能だとか)。

皆既を迎える瞬間は、どこの観測地でもカウントダウンが始まることが多いが、いままで数秒と外れたことはない。月なんてとてつもなくでかいモノが、太陽なんてとてつもなくバカでかいものを隠す瞬間を秒単位で予測する、しかもそれが限りなく100%に近い確率で実際に起こるって、いったいどこが浪漫チックなんだ。と思うのである。

といいつつ、皆既日食自体はほんとうに素晴らしく感動的な現象だ。

ああ。自分の貧困な語彙がうらめしい。このように貧困な語彙でもええよ、という方は、来週以降も引き続き読んでいただければ幸いである。

※なおジョン&サラ夫妻とは、1994年、チリの皆既日食の際に知り合った。その後、1998年(カリブ海のオランダ領アルバ島)の日食も同行。皆既日食を共に見るのは、今回が3回目である。

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